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ろうあ幡多機関紙 平成30年7月西日本豪雨災害 広島被災

昨年の西日本豪雨災害では、宇和島市と同じく広島にも大きな被害がありました。広島市に住んでいる土肥さんに聞きました。建設機械のユンボは、災害によって道路が狭くなったことで、必要な現場まで移動することができなかったそうです。また、被災地では建設の業者に依頼が殺到して、なかなか来てもらうことも できなかったそうです。

災害ボランティアに参加した土肥さん 掘り出すのに苦労する土肥さん 土肥さんの家の前
 『災害ボランティアに参加して』  2018年11月 土肥さん(広島市在住) 

 今年の梅雨はいつもと違いとても蒸し暑かったし、豪雨はいつもと違ってよく降った。まさかうちの周辺が被害に遭ったなんて思わなかった。
7月6日夕方豪雨。翌朝、家の前に土砂が流れて来た。どこから流れて来たのだろう?と思いつつ出勤した。テレビニュースで隣町の坂町が凄い被害に遭ったのを見て、ろう者会員の人に問い合わせてみたら、サークル仲間のろう者夫妻の家2軒が床下浸水に遭われたとのこと。広島ろうあ連盟が災害ボランティア募集を初めて立ち上げたと聞きつけ、ボランティア保険に加入して参加した。
 テレビで見るより実際に見た方が凄まじかった。土砂が1m以上にもなり、家中トイレもお風呂も泥水が流れ込んでいた。場所や状況により違うが、出てきた泥水をバケツリレーして、出てきた土砂をかき出して土のうを作り、1カ所に運んだり畑に積もった土砂をすくったりした。草の根が深くてスコップや鍬をさしても簡単に掘れず、なかなか手こずった。
 今年は酷夏だったので作業と休憩確認10分を繰り返しながら行った。最初は被災したろう者の家だけだったが、他の一般の家にも作業しに行った。もちろん手話通訳付で全国方々からも一般のボランティアが来てくれて、一緒に活動し手話を通じて交流を深めた。耳がきこえなくても支援できた貴重な体験でした。
 災害ボランティアは10月いっぱいで終わってしまったけど完全に綺麗に片付けた訳ではない。土砂が埋もれたまま傾いている家がいっぱい残っているのでどうしようもありません。
【2019年(平成31年)1月】

■災害寄付金「聴覚障害者災害救援基金」記載口座番号■
名義(一財)全日本ろうあ連盟 災害救援中央本部代表 石野富志三郎
 みずほ銀行 江戸川橋支店 普通預金 口座番号1511276
災害救援基金に関する連絡先 
【一般財団法人全日本ろうあ連盟 本部事務所】【聴覚障害者災害救援中央本部事務局】



高知新聞 青い腕輪を目印に聴覚障害者と会話 一目で理解し合える

聞こえない人と聞こえる人のコミュニケーションをつなぐリストバンド  「耳が聞こえません」「手話ができます」「聴覚障害について知っています」―耳が聞こえない人を交えた“会話”の端緒にしてもらおうと、高知県聴覚障害者協会がリストバンドを作製、販売している。青のシリコン製で、表面には「We Love コミュニケーション」の文字。着けていれば、聴覚障害があることや、手話が使えることなどを一目で理解し合えるという取り組みだ。
 聴覚障害は外見で分かりにくいため、手話を学んだ人が聴覚障害者を把握できず、実際の会話につながりにくい。聴覚障害者から見ても、相手が手話を使えるかどうかなどの判断がつかず、他者に声を掛けにくいという。高知県聴覚障害者協会はこうした状況を打破しようと、気軽に着けられるリストバンドを考案した。
 色は、高知の空と海をイメージした青。聴覚障害者が耳が聞こえないことを周知する手段とするほか、手話ができる人や、手話はできなくても聴覚障害について理解している人たちが、聴覚障害者に対して「気軽に話し掛けて」と意思表示することも想定している。
 他県での取り組みには、災害時などの非常用「耳が聞こえません」などと大きく書かれたバンダナや缶バッジがある。
高知県版のリストバンドは、「We Love コミュニケーション」と表示することで、障害者と健聴者の双方からアピールでき、日常も使いやすい形態になった点が新しいという。
 1個300円で、高知市越前町2丁目の高知県聴覚障害者協会で販売中。
竹島春美会長は「私たち聴覚障害者はなかなか声を上げられないけれど、コミュニケーションしたいと思っています」と、利用を呼び掛けている。問い合わせは高知県聴覚障害者協会(088・822・2794)へ。

【写真】聞こえない人と聞こえる人のコミュニケーションをつなぐリストバンド(高知県高知市越前町2丁目)
【2014年(平成26年)3月】


毎日新聞 災害研修会:手話団体通訳求める災害用バンダナの活用法など障害者の防災対策協議/愛媛

紫とピンクの災害用バンダナ 耳がきこえません/手話ができます
 県内の17の手話サークルでつくる県手話サークル連絡協議会は12日、松山市本町6の県視聴覚福祉センターで、会員や聴覚障害者ら約100人が参加して災害研修会を開いた。東日本大震災を受けて同協議会が作った「災害用バンダナ」や「SOSカード」の活用法など、聴覚障害者の防災対策を協議した。【中村敦茂】

 紫とピンクの災害用バンダナは対角線の半分側に耳の絵と「耳がきこえません」の文字、反対側は両手の絵に「手話ができます」と付せられている。避難所などで障害者が首や腕などに巻けば、耳が不自由であることを周囲に伝えられるし、支援者が巻けば障害者が見つけやすい。折り畳み式のSOSカードは、開くと九つのマス目にそれぞれ「書いてもらえませんか?」「放送は何と言っていますか?」などとイラスト付きで記され、指を差して要望を伝えられる。

 この日は参加者にバンダナとカードが配られ、7グループに分かれ活用法を議論。「非会員の障害者への配布は行政を通じてできないか」「仕事をしている障害者もおり、職場にも置いてほしい」「カードの裏に病歴や既往症も書いておけば」などの意見が出た。

【2012年(平成24年)8月】


毎日新聞 手話のできるCAたちが「手話バッジ」を着用

 日本航空(JAL)は25日、手話のできる客室乗務員(CA)目印となる「手話バッジ」を着用して乗務する取り組みを始めた。手話によるデモンストレーションや案内ボードなどを写真でJALには手話ができるCAが約100人いるが、これまでは外見で手話ができるかどうかを判別することはできなかった。また、何らかの申告がない限りCAから手話での対応が必要な乗客かを判断する手段もなかった。2010年のゴールデンウイークに筑波大学付属聴覚特別支援学校高等部に在学していた東京成徳大学1年生の井上彩香さん(19)が、機内でCAの岡田敦子さんと手話で会話をしたことをきっかけに「手話のできる人がいることがわかるようにしてほしい」という要望を高校の生徒や教職員約60人で行ったアンケートとともにJALへ提出、岡田さんたちの尽力もあって「手話バッジ」の導入が実現した。「手話バッジ」はレベルに応じて「手話」バッジ(手話検定4級以上のレベル)と「手話勉強中」バッジ(手話検定5級レベル)の2種類。全国の空港カウンターにも指さしでコミュニケーションができる案内ボードも用意された。
手話のできるCAたち バッジ  羽田空港(東京都大田区)では、福岡行き午前9時25分発JAL309便の搭乗口で「手話バッジ」導入について説明するアナウンスと手話のデモンストレーションが行われ、井上さんが「手話バッジ」を着けた岡田さんとともに同便に乗り込んだ。
 井上さんは「実現できるとは思わなかったので、本当にうれしい。安心して飛行機に乗れます」と笑顔をみせていた。JALでは今後、CAだけでなく空港カウンターなどの地上職員にも手話のできる職員を増やしていくことにしている。 【米田堅持】
【2012年(平成24年)3月】
【写真】出発前に手話で「手話バッヂ」導入を搭乗口で説明する岡田さん=東京都大田区の羽田空港で2012年3月25日午前、米田堅持撮影

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高知新聞 頼りになります手話警官

手話で手続きの説明をする矢野佳孝さん(四万十市の中村署)  中村署のロビーで警察官が住民と向き合っていた。交通庶務主任の矢野佳孝さん(50)。免許更新などに訪れる聴覚障害者に、仕事の合間を縫って学んだ手話で対応する。
 高校卒業後、病院の受付けや、市役所の臨時職を経て、25歳で警察官に転職。小柄で優しげな風貌に温厚な性格で「たいそうな理由はない。自分みたいな性格の警察官がおってもえいかなって」と、笑う。
 病院勤務時代、聴覚障害のある患者とやりとりで歯がゆい思いをした。筆談に頼るほかなく、本当のコミュニケーションでない気がした。
 宿毛署員だった1995年、阪神大震災直後の兵庫県西宮市に応接で出勤。崩れた家屋を見回る任務に当たった。ある避難所で、若いボランティアの女性が滑らかな手話で年配の女性被災者と会話するのを目にした。被災者の安心した表情が印象的だった。
 「一番必要な時にコミュニケーションがとれている。自分にこういう力があれば…」。約15年ぶりに病院での歯がゆい記憶もよみがえり、手話を学ぼうと決意。3日に1回の夜勤など、忙しい勤務の傍ら四万十市が開く手話講座に通い始めた。
 五十音を表す「指文字」などは予習でマスターする熱の入れよう。勤務を終え教室に駆け込んだこともあった。受講生には夜勤明けの看護師もいて、眠くなるとペンでつついて励まし合った。
 「まだまだ方事のレベル」と謙遊するが、今では聴覚障害者から「安心して警察に行ける」と頼れている。
 「人と人の理解は本来、お互いに『し合う』ものだと思う。ちょっとしたことでも、双方向のコミュニケーションが欠かせない。手話をもっと磨きたい」
【写真】手話で手続きの説明をする矢野佳孝さん(四万十市の中村署)(幡多支社・八田大輔)
【2011年(平成23年)2月】

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高知新聞 大丸 従業員に手話

高知大丸(高知市帯屋町1丁目)は14日から、従業員対象の手話教室を始めた。
障害のある人らへの接客サービス向上を目指す研修の一環。
約240人の社員が6回に分かれ、県聴覚障害者協会の山中睦子会長の講義を約3時間ずつ受ける。

【写真】県聴覚障害者協会の山中睦子会長=左=から手話の講義を受ける高知大丸の社員(高知市追手筋1丁目の高知大丸ピアンタビル)
【2010年6月】
手話の講義を受ける高知大丸の社員

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朝日新聞 聴覚障害者参加し模擬裁判

裁判員制度 審議・評議、手話通訳士介し
 聴覚障害者が裁判員として参加する模擬裁判が6日、松山地裁で開かれた。四国では初めての試みといい、手話通訳士3人が交代で審理や評議の内容などを聴覚障害者に伝えた。
 この日の模擬裁判には、聴覚障害者で県聴覚障害者協会副会長の青井均さん(53) が裁判員として参加した。大家から退去を求められた男がマンションの自室にライターで火をつけ、壁などを焼損した現住建造物等放火事件を想定した裁判で、青井さんは手話を使って被告に質問=写真。検察官や弁護士はモニターを使いながら事件について説明した。
 青井さんは裁判を前に手話通訳士と約6時間打ち合わせ、裁判官や検察官、弁護士にゆっくり話すことや手話が見えやすい座席の確保などを地裁側に事前に要望していた。
 青井さんは「通訳も話し手の言葉の抑揚や雰囲気まで伝わるよう手話をしてくれた。非常にわかりやすく、おくすることなく意見が言えた」 と手話で振り返った。(伊藤喜之)
【2009年4月 】
青井さん

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高知新聞 緊急時の対応へ 手話学習を開く

四万十清流消防署員の皆さん
2009年1月31日(土)
 高岡郡四万十町の、四万十清流消防署本署の全署員20人が、 聴覚障害者の緊急時に対応できるよう、講師の秋田知恵子さんの指導の下、手話の習得に励んでいます。

 署員は
「【いざという時には連絡できる】という安心感を 聴覚障害者のみなさんに与えることができたら」と張り切って手話を学んでいます。

【2009年1月 】
緊急のとき、ろう者に伝達できるよう手話の習得に励む消防署員

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高知新聞 手話狂言に笑いの渦

 手話による狂言公演が、高知市中万々の県立高知ろう学校で24日開かれ、約300人の生徒や保護者らが、身ぶり手ぶりのユーモラスな演技を楽しんだ。
 県立高知ろう学校創立80周年記念行事の一環として、国内外の舞台で手話狂言を行っている日本ろう者劇団(東京)の劇団員3人を招いた。

【2008年11月 】
笑いを誘った手話狂言

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高知新聞 携帯電話で簡単通報10月から障害者向け新方式

通報者の住所や氏名を指令室の端末で特定できる「Web119通報システム」(和歌山県新宮市消防本部で) 10月から障害者向け新方式
 新宮市消防本部は10月1日から、聴覚や言語機能に障害のある人でも携帯電話のインターネット接続機能を利用して簡単に通報ができる「Web119システム」の運用を始める。
 愛媛県のNPOが開発したシステムで、緊急時、通報者はシステムに接続し、画面で「火災」や「救急」などの項目を選択して発信する。消防本部は、司令室の端末であらかじめ登録している通報者の住所や名前を特定し、出動する。GPS機能(衛星利用測位システム)付き携帯電話の場合、外出先から通報しても位置が分かる。
 対象は市内に住むか勤務し、聴覚や音声言語などに障害がある人。事前の申し込みが必要。同消防本部はこれまで、ファクスによる通報を受け付けてきたが「身近にある携帯電話を使ったシステムの導入で、より細かな住民サービスにつながるのではないか」と話している。
 田辺市消防本部では、2007年度から携帯電話のメールで緊急通報する「メール119」を始めている。
【通報者の住所や氏名を指令室の端末で特定できる「Web119通報システム」(和歌山県新宮市消防本部で)】
【2008年9月 】
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愛媛新聞 秋の褒章 手話サークルはまゆうの会

表彰される手話サークルはまゆうの会  2007年秋愁章受賞者が2日付で内閣府から発表された。愛媛県関係では、進んで社会奉仕活動に参加した人をたたえる緑綬愁章一団体、業務に精励し模範となった人を顕彰する黄綬愁章4人、公衆の利益に貢献したり公共の事務に精励したりした人に贈る藍綬愁章2人の計6人・一団体は受賞した。県内受賞者の中から業積の一端と喜びの声を紹介する。

緑綬愁章
 毎週木曜日の夜、宇和島市総合福祉センターに、手話を練習しようと仕事帰りの看護師や会社員らが集まる。指導役はろうあの人たちが中心。和気あいあいとした雰囲気ながら、会員たちは講師の手の動きに目を凝らす。
 1979年に県ろうあ者大会が同市で開かれた際、参加者との交流を深めようとしたのがきっかけ。初代代表の藤堂さんは「気が付いたら30年近くもたっていた」と感懐深げだ。「サークル活動のおかげで、病院でも手話が通じるようになってきた」と 講師役の土居さん。同会が長年果たしてきた役割の大きさを実感しているという。
 現代表の坂本さんは「手話の普及に努めたこれまでの会員の努力や手話を指導するろうあ者の協力のたまもの」と受賞にもこ謙虚だ。
 会では、障害者の行事に参加したり、手話体験イベントを実施したりするなど、聴覚障害への理解を広める啓発活動を続ける。現在の会員は宇和島市などの約60人。最近、小学生も加入した。三好さん=和霊小学校5年=は「難しいけれど面白い」と大人と交じって懸命に学んでいる。
 「だれも住みやすいまちづくりを」ー会員たちの思いは、共に歩むろう者の思いと重なっている。
【2007年11月 愛媛新聞】
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読売新聞 手話は「全身で」 新人警察官が受講

 慣れない手つきで懸命に自分の思いを手話で伝えようとする初任科生たち(県警察学校で)松前町西古泉の県警察学校で30日、「手話教養」が初めて行われ、初任科第140期生の29人が受講。
 聴覚障害者らを講師に招き、巡回連絡や交番勤務で実際に使われる手話を学んだ。
 障害者に対する理解や人の心の痛みが分かる警察官を育てようと企画。
 初任科生らは、「表情はやわらかく、体全体で表現しよう」と指摘されながら、言いたいことを伝えようと懸命に取り組んでいた。
 参加した土居麻衣子巡査(27)は手話を習うのは初めてといい、「勤務時など聴覚障害者の方に出会ったら、きちんと対応できるようにしたい」と話していた。
【2007年12月 】
「手話教養」初任科第140期生の29人が受講

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読売新聞 専任の手話通訳者が耳の不自由な患者を介助する事業が…

八幡浜市立八幡浜総合病院で介助する手話通訳者  八幡浜市立八幡浜総合病院で3日、専任の手話通訳者が耳の不自由な患者を介助する事業がスタートした。聴覚障害者の不安を取り除くために市が取り組んでいる「コミュニケーション支援事業」の一環で、当面週に1度常駐する。県内では社会福祉協議会などから病院に手話通訳者が派遣される例はあるが、専門の通訳者が待機するのは初めてという。市福祉事務所は「利用状況をみて回数を増やすなど福祉の充実につなげたい」としている。
 手話通訳者は3人が登録され、このうち1人が毎週水曜日に待機。来院した聴覚障害者に付き添って、受け付けから検査、受診、投薬まで立ち会う。
 この日は岡野由季枝さん(52)が担当。午前9時ごろ定期的に受診している市内の男性(81)が着くと、岡野さんが寄り添い、検査技師の「採血しますよ」との言葉を伝えたり、医師に痛みを教えたり。院外にある薬局に行き、薬の説明を受けるまでの介助をした。
 男性は「手話通訳の人が一緒だと、待ち時間の心細さも軽くなる。水曜日は連絡なしにきても通訳がいるので安心」とし、岡野さんは「耳の不自由な方の不安を少しでも取り除くお手伝いができた。こういう取り組みが始まってうれしい」と話していた。  同市は2000年から、聴覚障害者が病院や市役所、警察署などを利用する際、手話通訳者を立ち会わせる派遣事業を市社会福祉協議会に業務委託して実施。利用は、初年度が60件だったが、昨年度は180件まで増えている。このうち、病院の利用は75件で、特に市立病院の利用が多い。
 しかし、同派遣事業では聴覚障害者が事前に連絡をする必要があるため、市は不便を軽減しようと、病院に常駐させることにした。
 水野省三・市福祉事務所長は「障害者のみなさんにとっても住みよい街になるよう、今後は事業の充実を考えたい」と話している。
【2007年10月 】

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毎日新聞 「室戸旋風」ろう学校OBも歓喜

室戸の活躍に声援を送る樋口さん ◇監督の教え子「先生がいて今の僕がある」
 第79回センバツ大会第7日の29日、初出場の室戸(高知)が宇部商(山口)を4−1で破り、ベスト8入りした。「室戸旋風」にわくアルプスでは、横川恒雄監督(54)がかつて勤務した高知県立高知ろう学校のソフトボール部OBら5人も声をからして応援した。  「自分を信じろ」。そう言って、苦難に負けずに生きる力をくれた監督。大舞台で言葉通りの試合を見せる恩師に、教え子たちは感謝を込めて叫んだ。先生、おめでとう−−。  横川監督は、野球部監督をしていた伊野商(高知)から養護学校を経て、89年に同ろう学校へ転勤。ソフトボール部の指導に情熱を燃やした。93年には、健常者と一緒の公式大会で“奇跡”と呼ばれた初勝利を収めた。  当時の教え子の樋口徳明さん(29)=高知市=は卒業後、大阪の理容院に就職。しかし難聴のため、同僚から「おまえの耳が遠いから客が帰った」と中傷され、客にカットを断られるなど、何度も悔しい思いをした。  そんな時、いつも思い出したのが横川監督が繰り返した言葉だった。「障害に負けるな。自分の力を信じてぶつかっていけ」。深夜まで店に残り、一人で散髪の練習を続けた。技術を身につけると生きていく自信がつき、何を言われても動じなくなった。  横川監督は97年に室戸に転勤。2年前、理容を教える講師として母校に戻った樋口さんは、室戸のセンバツ出場が決まると、すぐに当時の仲間と連絡を取り合った。  初戦の報徳学園(兵庫)戦は11人がアルプスで応援。室戸は強豪相手に一歩も引かず、ファインプレーを連発して勝利した。樋口さんは「最高です」と涙を流した。  この日の2回戦。樋口さんは妻まなみさん(44)、長男諒君(1)と応援。勝利の瞬間、立ち上がると、「先生、おめでとう」と叫んだ。  樋口さんは「障害は僕の宝物。障害があったから横川先生に出会え、今の僕がいる。ここまできたらもっと上まで勝ち進んで」と満面の笑み。横川監督も「彼らとはいつも心でつながっている。いいプレゼントができてよかった」と喜んだ。【千葉修平、細谷拓海】
【写真=室戸の活躍に声援を送る樋口さん=阪神甲子園球場で29日、千葉修平撮影】
【2007年3月】
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高知新聞室戸高スタンドで応援へ 横川監督教え子ら11人

横川監督に応援メッセージをつづる樋口さん  23日から兵庫県西宮市の甲子園球場で始まる第79回選抜高校野球大会に初出場する室戸高校(室戸市室津)の横川恒雄監督(54)が高知ろう学校(高知市中万々)に勤務していた当時の教え子らが25日の初戦、甲子園に応援に行く。敬愛する監督の晴れ舞台。「僕たちも一緒に戦う」と燃えている。  横川監督は平成元年から8年間、高知ろう学校で社会科の教諭として教壇に立った。その間、ソフトボール部の監督も務め、毎日放課後には約2時間、練習に汗を流したという。  現在同校に勤務する樋口徳明教諭(29)は、横川監督の教え子の一人。中等部1年―高等部3年までの6年間をソフトボール部員として横川監督と過ごした。  キャプテンも務めた樋口さんは、当時の横川監督を「練習は厳しかったけれど、試合で負けた時は『負けるのも一つの勉強。これから頑張っていけば、きっといいことがある』と手話を交えて言葉を掛けてくれた」と振り返る。  生徒が社会に出た時に役立つようにと、横川監督は学校外での活動機会を増やし、近くの高校と練習試合をした。冬には一般のロードレースにも積極的に参加した。  「『自分に厳しく』という先生の教えは、弱かった自分を変えてくれた」と話す樋口さん。室戸高校の甲子園出場が決まった直後、「先生のためにできることをしよう」とかつての仲間に募金を呼び掛けた。募金は県内や愛知県、愛媛県在住の卒業生ら約20人から集まり、10日に横川監督に直接手渡した。  「お世話になった横川先生の甲子園での初戦は見たい。同じ雰囲気を味わいたいと思った」。樋口さんはそんな思いから、初戦には高知ろう学校の卒業生ら11人で甲子園に応援に向かう。  「僕たちも一緒に戦うので、結果を恐れずに全力で。スタンドから、室戸高の一員としてしっかり応援したい」と樋口さんは笑顔を見せた。
【写真=横川監督に応援メッセージをつづる樋口さん(高知市中万々の高知ろう学校) 】
2007年3月】
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高知新聞 レジに「耳カード」 聴覚障害者の買い物支援

レジに備えた「耳カード」には国際的デザインの耳マークが。店員はよくある会話のシートも利用し意思疎通を図る(南国市のサニーアクシス南国店) 南国市のサニーマート 提示で筆談対応
 聴覚障害者の買い物をスムーズに――。サニーマートは20日から、南国市大そね乙の「サニーアクシス南国店」で、レジに耳が不自由なことを伝えるカードを備えるなど、独自のサポート活動を始める。関係者によると「全国でもおそらく初めて」という取り組みで、順調なら同社は他店にも広げていく考えだ。  きっかけは、同市民らでつくる「南国手話サークル まほろばの里」の相談。同サークルによると、聴覚障害者の中には「おはしは付けますか」「カードはお持ちですか」などの問い掛けが分からない人がいる。また、代金がおかしいと思っても、つい面倒で聞くのを避けたりするケースもあるという。  同サークル事務局の山内繁光さんは「これまでは消防や病院などで手話を広げる活動などをしていたが、日常の買い物についてはわれわれも抜けていた」と反省。1年ほど前に同店に相談し、改善策について協議を重ねた。  結果、出来上がったのが「耳カード」。テナントを除くスーパーの全レジに備えられ、聴覚障害者は精算時に買い物かごに入れる。店員はそれを見て障害を認識、必要に応じ筆談で対応する。  そのほか「包装は必要ですか」など支払時によくある会話を表記したシートも用意。さらにサービスカウンターには、のしの種類などをまとめたシートも準備し、指さしでの意思疎通も一定できるようにする。  山内さんは「スーパーに限らず広げたい取り組みで、一歩踏み出してくれたのはありがたい。関係団体などを通じ障害者にも周知を図りたい」。  同社担当者は「店づくりは健常者の目線で行われることが多い。例えばタイムサービスは放送だけでなく表示物も用意するとか、今後も改善できる点を考えたい」と話している。
【写真=レジに備えた「耳カード」には国際的デザインの耳マークが。店員はよくある会話のシートも利用し意思疎通を図る(南国市のサニーアクシス南国店)】
【2007年1月:社会】
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高知新聞 手話通訳派遣無料か有料か 揺れる県内自治体

 聴覚障害者に手話通訳を派遣する事業費の「1割負担」をめぐって県内の自治体が揺れている。「障害者自立支援法」は利用者の応益負担が原則だが、派遣事業は情報保障の観点からこれまで通り無料とするのが全国的な流れ。これに対し県東部の市町村が「応益負担が導入された他のサービスとの公平性」を理由に有料化。新たに有料化を検討する自治体も出るなど対応が分かれている。県聴覚障害者協会は「コミュニケーションは基本的人権」として無料化を求めているが…。
障害者団体の会合で手話通訳をする手話通訳者。このコミュニケーション支援がなければ活発な論議は望めない  聴覚障害者が役場や病院などで説明を受けたり、協議する場合に利用されるのが手話通訳派遣事業。県によると過去5年間は年間約420件の実績があり、派遣理由は通院が最も多かった。
 昨年10月、同事業が「地域生活支援事業」に移行。市町村は実施主体として新たな財政負担を負う一方で、利用料負担を障害者に求めるかどうかを独自の判断で決められるようになった。
 これに伴い県東部の6市町村(室戸市、奈半利町、田野町、安田町、北川村、馬路村)が足並みをそろえる形で有料化。例えば、室戸市に高知市から手話通訳者を1時間派遣した場合の利用料は約6600円(自家用車利用)。その1割の負担を障害者に求めることにした。
 有料化した理由は、他のサービスとの公平性の確保と財政負担の軽減。公平性について、室戸市は「1割負担が導入された他のサービスもそれを受ける障害者にとっては欠かせない支援。手話通訳派遣だけ特別扱いはできない」と説明。他の町村も「応益負担が自立支援法のたてり」と同様の考えだ。
 また財政面では「将来的に国と県のこの事業への補助割合がどうなるかも分からない。財政が厳しい中で、無料化に応える時期ではない」(奈半利町)と理解を求める。
 これに対し県聴覚障害者協会は「手話通訳は他の福祉サービスと同列には扱えない」とし、「手話通訳を介し意思疎通が図れた健常者と障害者、双方が受益者。この点が他の福祉サービスとは大きく異なる」と主張。
 さらに、派遣事例には子どもの小学校入学の説明会などもあることから、同協会の山中睦子会長は「行政として住民に知らせなければならないことであっても、障害者だけが負担を負うことになる。健常者と障害者の間の公平性をどう考えるのか」と憤る。
 同協会は6市町村を順次訪問し、聴覚障害者の立場を説明してきた。これを受け安田町は有料化を撤回。昨年10月にさかのぼって無料にするとともに、19年度も負担を求めない方針だ。
 しかし残る5市町村は「できれば無料にしたいが、どこかで線引きが必要」「(無料に戻すと)他の障害者団体が要望してきたときの対応が困難」とし、18年度中の見直しに否定的だ。
 県内の他の自治体で19年度からの有料化を検討する動きもあり、同協会は今後も手話通訳派遣事業への理解を求めていく考え。情報保障か、公平性か、市町村の障害者福祉に対する姿勢が問われている。  地域生活支援事業 障害者自立支援法は従来の福祉サービスや施設サービスを「自立支援給付」と「地域生活支援事業」の2つに再編。原則1割の応益負担を求めるのは「自立支援給付」で、居宅介護や就労移行支援など。これに対し「地域生活支援事業」は詳しい事業内容、利用者負担の設定を市町村の裁量で決められる。ただ手話通訳派遣(コミュニケーション支援)などは基本事業として、必ず行う事業となっている。
 【写真説明】障害者団体の会合で手話通訳をする手話通訳者。このコミュニケーション支援がなければ活発な論議は望めない(高知市朝倉戊の県立ふくし交流プラザ)
【2007年1月】
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愛媛新聞市民守るぞ手話練習

県警察学校 初任科生の教養科目に交通事故の注意表現学ぶ
 県警察学校では11月30日、伊予郡松前西古泉の同校で、交通勤務などに必要な手話の実務を学んだ。県警は4月に採用した初任科生から手話教養を取り入れている。 初任科生29人が受講。手話通訳士の河野静枝さん(60)松山市の指導で、聴覚障害者に交通事故への注意を促す連絡方法などを練習。両手をぶつけ、はじける動きが交通事故を表すことや、名前や仕事、住所の尋ね方なども学んだ。 河野さんは「手話が通じなくても、口の形や地面に書いて伝えるなど、あきらめないで努力してほしい」と呼び掛けた。 今村豪巡査(29)は「聴覚障害者に意思が通じるとうれしかった。興味を持って勉強していきたい」と話した。
【写真=手話を学ぶ県警察学校の初任科生】
【2006年12月】
手話を学ぶ県警察学校の初任科生

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高知新聞 聴覚障害児にも表現する喜びを

高知ろう学校で講演
聴覚障害児・者の発達について考え、障害への理解と認識を深める「聴覚障害教育を考えるつどい」が18日、高知ろう学校(熊野定校長)で開かれ、県内の難聴学級に通う児童生徒や保護者らが見学した。 NHK「みんなの手話」の講師や日本ろう者劇団の代表代行を勤める井崎哲也さん(54)=東京=が、参加した約120人と一緒に、手話を使った数遊びや棒を使った発想ゲームを行いながら講演。  生徒らは体の動きや表現を交えながら、棒をバットに見立てて振ったり、上履きをのせて皿回しを表現するなど、自由なアイデアを次々と披露。会場は大きな拍手と笑顔に包まれた。  井崎さんは「表現する力は子どもにとっては大切。埋もれた才能をどんどん引き出して、表現することに自信と喜びを感じられるようにしてほしい」と話していた。
【手話を使った井崎さんの講演(高知市中万々の高知ろう学校)】
【2006年11月:社会】
手話を使った井崎さんの講演

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読売新聞 手話こなし安心の薬局へ

 愛媛県宇和島市丸之内の薬剤師井上貴博さん(41)は、同市内で薬剤師を対象にした手話の普及に取り組んでいる。「胸の前で両手を合わせて『お大事に』と伝えるだけでも、安心してもらえるはず」と信じている。  10年以上前、耳の不自由なお客さんが来店した。処方せんを基に調薬したが、本来は伝えるべき用法、効能をうまく説明できなかった。「こんなことで聴覚障害者が安心して利用できるのか。その疑問が出発点でした」  2001年の県薬剤師会のアンケートでは、薬剤師の65%が「聴覚障害者に服薬の仕方を十分に説明できた」としたのに対し、聴覚障害者の68%が「うまくコミュニケーションできなかった」と答えた。意識の大きなズレを知り、手話の普及を思い立った。  2月、聴覚障害者を講師に迎えて手話勉強会を始めた。処方せんに沿って用法や効能、副作用を伝える訓練をした。全6回の勉強会を修了した24人の薬剤師仲間が、手話ができることを示す黄色いバッジを胸に店頭に立つ。  「今後は、勉強会を県内に広げたい」。薬局が聴覚障害者に安心して利用してもらえる場所になるよう目指している。
【2006年9月】
薬剤師井上貴博さん

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高知新聞 男児誕生 皇室に新たなページ

 沖縄への日帰り訪問など土日も埋まり、年々増え続ける秋篠宮さまのスケジュールを知って、赤木さんは驚いたこともある。 「陛下との意思疎通は大切」「要請はを受けた仕事は一つ一つ大切のしたい」。秋篠宮さまは記者会見で、公務の重要性や陛下を支える役割の大切さを繰り返し話された。 幼児期の厳しいしつけ、多少の無理をしてでもこなそうする公務、大事にする天皇、皇居両陛下とのコミュニケーション…。家族に「小さな仲間」が加わるたびに、皇族としての責任感が強まっているのが、赤木さんに実感できた。 「支えているのが紀子さま」と赤木さん。「若いころはお互いけんかもしたはず。だが、仲むつまじさは変わらない」という。育児と公務にはげみながら笑顔を絶やさない。手話や国際文化交流などの催しに出席し、独自の活動を広げてもいる。「ひたむきな姿勢は周囲や家庭にやすらぎを与えている」と感じた。 秋篠宮家に6日、小さな男の仲間が加わった。赤木さんは「家族のきずなが深まり、ご夫妻のさらなるステップアップが楽しみ」と期待を寄せている。
【2006年(平成18年)9月】
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朝日新聞 ペットボトルのいかだでレース

若あゆ手話サークル会員さんが参加した「四万十チャレンジ2006〜環境(エコ)SHIPコンテスト〜」 ペットボトルを束ねた手作りいかだのタイムレース「四万十チャレンジ2006〜環境(エコ)SHIPコンテスト〜」が27日、四万十市鍋島の四万十川で開かれた=写真。参加した30隻の約60人に観客約1千人が大きな声援を送り、岸辺には同市の特産品や環境にやさしい商品を提供する店も並び、にぎわった。  催しは中村青年会議所の創立50周年記念事業の一環で、環境問題への意識を高めようと企画。レース前、選手を代表して保育園で保育士を務める東司さん(28)と保護者の山本誠さん(30)の2人が「四万十川の雄大な自然に臆(おく)することなく環境のことを考え競技に挑戦します」と宣誓した。  レースはいかだに2〜4人ずつ乗り込んでオールやパドルでこぎ、川の流れを10メートルほど横切ってから流れに乗り、約70メートル先にゴールするまでの速さを競った。ペットボトルを横や縦にしてひもで組んだもの、ビニールテープで包み込んだものなど様々。懸命にこいでも前進しないチーム、バランスが悪くて転落する人もいた。  いかだのデザインや心に残るチームを選ぶ審査があり、優勝チームに10万円、2位に3万円、特別賞4チームに各2万円が贈られた。いかだのペットボトルはレース終了後、選手たちが解体してリサイクルに回した。
【2006年(平成18年)8月】

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高知新聞 【 所感 雑感 】 病院に就職をして・・・

リハビリ助手 竹島 春美
竹島春美さん  病院のリハビリ助手として働きはじめてはや3ヶ月たちました。緊張が続く日々、患者さんから話しかけてくる内容が読み取れず、「すみませんが、耳が不自由なのでゆっくり言ってください。」とお願いすると、「ありゃまあ、そう、あたしも耳が遠いきよ」と、思いもかけない言葉が返ってきて、ああそうかと心がほんわかとなりました。
 恥ずかしい話、病気やケガやらでこの年まで救急車で運ばれたこと4回、入院8回と情けない記録を作ってきた自分がこうして病院で働くことになるとは到底思ってもみなかったことです。親からも「あんたは、病院には散々お世話になったから、きちんと恩返しせないかんぜよ」と、言われてしまいました。親、私自身も聴覚に障害があり、音がないのが当たり前の環境に育った自分にとって、音のある世界はどこに行っても異国のような感じがします。どのくらい力を入れて発声したら良いのかといつも色々と考えてしまいます。
 病院では、私自身患者の立場で色々な珍事件に出遭ってきました。今でも忘れられないのは、25年前アキレス腱を切ったときの手術です。そこの病院はなぜか、手術室に入ったら患者は足先の手術であっても、スッポンポンの全裸にバスタオルをかけるだけ、それだけでも恥じらい多き年頃には苦痛なのに、医者や助手はマスクを絶対に、外したらいけない決まりでもあるのか、私が「口の動きを見ないと何を言っているのかわからないのでマスクを外して話してください」と何回頼んでも頭を横に振るばかり。事前に下半身麻酔の説明もなしでしたから、助手が指さす台の上でああでもない、こうでもないと、自分なりに一生懸命考えて色々に姿勢を変えました。やっとわかった頃には、煮ようが焼こうが、そっちの勝手じゃと、まな板の上の魚の心境でした。私自身この出来事で性格が大きく変わったと思います。私の場合は、まだ笑い話にできるからよいようなものの、深刻な例もあります。未就学の聾者が頭痛で病院に手話通訳なしで行ったとき、医者は「MRIで切ってみましょう。準備しますから廊下でお待ちください。」と紙に書いて説明しました。でも、その人は『切る』の言葉で怖くなって検査を受けず、逃げるように帰り数日後に亡くなったという話があります。
 聾者が安心して病院に行ける、安心して治療を受けられる、皆の輪の中に入れない疎外感を感じることがないような病院というのはあまり聞いたことがありません。そんな病院があったら良いねとは、いつも聾者の仲間の集まりで話によく出てきます。
 病院にそれを求めるのは、病院の忙しい現実を見ればまだまだ無理かもしれません。それならば、私自身を見てもらって、接してみて、聴覚障害者に対する理解を深めることから始めてもらえたら、とおもっております。
 手話に興味のある方は、遠慮なく私の肩をたたいて聞いてください。手話ができないから話ができないと思い込まないでください。身ぶり、口話、筆談と、方法は色々あります。一番大切なのは、伝えたいという気持ち、そして、相手が何を言いたいのか聴く気持ちだと思います。今はまだまだ無我夢中の毎日ですが、与えられた場所で、自分にできることを、肩に力を入れずに頑張ることができたらと思っております。皆さん、よろしくおねがいします。
【2006年(平成18年)6月:投書】

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高知新聞 聴力なくても運転免許

2年後 ワイドミラー条件
警察庁方針
 警察庁は13日、運転免許が取得できない重度の聴覚障害者について、死角を減らすワイドミラーの装着などを条件に普通免許を認める方針を決めた。聴覚障害者の社会参加拡大を念頭に、現行の運転免許試験で合格に必要な聴力基準を事実上廃止する。同庁は道交法改正などを進め、2年後の導入を目指す。  警察庁の委託で、聴覚障害者による走行実験などの研究を進めていた国際交通安全学会が「聴覚障害者もワイドミラーを活用して慎重な運転に努めれば十分に安全確保できる」と結論付け、普通免許を認めるよう提言した。免許の取得に当たっては、音が聞こえないとどのような状況が危険なのかやワイドミラーの使用方法を教習所で徹底する。タクシーなどの第二種免許や大型車は対象から除く。二輪車については今後の要望などを踏まえながら決める。  現行の運転免許試験は10メートル離れた距離でクラクションの音が聞こえることが合格基順となっている。一方、海外では聴力を要件にしていない国も多く、聴覚障害者の社会参加拡大を図るため見直しが求められていた。  国際交通安全学会は「後続車が近づく状態での車線変更」など、クラクションや緊急車両のサイレンが聞こえないと危険が生じる場面を設定し、走行実験を実施。  実験車両に標準装備された幅23センチのバックミラーに幅33センチのワイドミラーを重ねて取り付けるなど、異なる条件で走ってもらい、ミラーの効果や運転行動を分析した。実験対象としなかった踏切についても、警報機のランプなどに十分注意すれば安全は確保できるとした。
◆ズーム◆
 聴覚障害者の運転免許
現行の運転免許試験は聴力の合格基準を「10メートルの距離で90デシベルの警報機(クラクション)の音が聞こえること」とし、タクシーなど旅客車両を除き補聴器の使用を認めている。警察庁が2002年から04年にかけて実施した調査によると、米国やドイツ、フランスなどは聴力を自家用乗用車の免許の要件とせず、英国では大型旅客車両の免許も取得できる。日本の交通事情も変化。遮断機も警報機もない踏切は94年度末には約400ヶ所まで減少。「警笛鳴らせ」の規制区間も約1400区間から約600区間に減り、警察庁の制度見直しの背景となっている。
【2006年(平成18年)4月:社会】

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朝日新聞 聴覚障害者招き 2年生手話学ぶ

 四万十市古津賀の県立幡多農業高校で23日、聴覚障害者協会幡多支部(曽根恵子支部長)の8人を招き、2年生約140人が4教室に分かれて手話を学んだ=写真。同校は人権学習の一環として02年から年3回、いずれも2時間ずつの手話学習に取り組んでいる。
 この日、生徒は手話による自己紹介や、両親ら家族、数字、仕事などの表現方法を復習したり新たに学んだりした。数字は、そろばんが基本になっていて片手で表現できて便利と教わり、3けたの金額や年齢、生年月日を表現してみた。
 曽根支部長は「生徒は恥ずかしいのか、自ら表現するには勇気がいるみたい。手話をもっといっぱい教えてあげたい」と張り切っていた。
 熱心に手を動かしていた豊嶋涼太君(17)は「細かい指使いが難しいけど、数字とおばあちゃんら家族の表し方はほぼ覚えた。もっと学んで、はたのう市場で通訳をしたい」と楽しそうに話した。
【2006年(平成18年)2月】
4教室に分かれて手話を学んだ

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高知新聞 ハンディ克服に驚き(聴覚障害者の理髪店見学)

安芸市の伊尾木小
聴覚障害者について学んでいる安芸市伊尾木の伊尾木小学校の4年生7人がこのほど、同市土居で理髪店を営む聴覚障害者の中平哲夫さん(46)の店を訪ね、仕事の様子を見学した。 同校では総合的な学習の時間に、手話サークルの協力で手話を勉強。校外の音楽祭でも、全員が手話を交えた合唱を披露している。 中平さんの店を訪れた児童は、手話サークルメンバーに手話通訳してもらいながら「お客さんとのコミュニケーションの取り方は」「不便なことは」などと質問。中平さんは「相手の口の動きを見たり筆談もできます。電話に出られないのが不便です」と答えていた。 この後、児童らがお客さん役になって模擬散髪を体験。「長め」「短め」などと書かれた表を指差しながら、髪を切る長さの注文をした。 久保響君は「スムーズの仕事できるように、いろんな工夫がされていてびっくりした」。中平さんは「みんな恥ずがっていたが、手話でも筆談でもどんどん話し掛けてほしい」と話していた。 【写真:筆談用の表を指差しながら会話する中平さん=右と児童(安芸市土居)
【2006年(平成18年)2月:地域】
中平さん

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高知新聞 『音声を自動的に文字化』

 耳の不自由な人のために、テレビの音声を文字で表示する字幕放送が広がっている。コンピューターで音声を文字化するシステムや高速入力可能なワープロの登場などで、生放送にも対応できるようになった。
字幕キャスター
 「演技が終りました。われるような拍手です。」10日間開幕のトリノ五輪では、NHK総合のフィギュアスケート生中継のテレビ画面に、こんな字幕が現れるはずだ。
高速ワープロも登場
 スポーツをはじめとする生番組はテンポが速い上、文法を外れた話し方や出演者同士の掛け合いも多い。そのまま字幕化すると分かりづらいため、NHKは「字幕キャスター」方式を開発した。 専門のアナウンサーがスタジオで映像を見て実説や解説を聞きながら、情報を整理してしゃべる。モニター画面に映し出す。修正係が句読転を打ったり、誤った部分を削除したりして出力していく。 システムには字幕キャスター  一人一人の声の特徴、競技ごとの選手名や専門用語が登録してあるので、正しく変換する確立が高いという。 字幕キャスターを務めて風見雅章さんは「いかに要約するかが、勝負。神経を集中させる作業なので、15分で交代している。」と語る。
読む速度と同じ
 東京・渋谷のビルの一室。テレビとパソコンがずらりと並ぶ。ニュースを中心に、NHKや民放各地から生字幕制作を請合っているスピードワープロ研究所だ。 「ステノキャプショナー」(字幕速記者)と呼ばれるスタッフが、ニュースの音声を聞きながら特殊なキーボートをたたき、原則2秒以内に専用線で放送局に送信する。 キーボートには文字キーが10個しかない。例えば「会社」は、ローマ字入力では、「kaisya」と6回打たなければならないが、これなら特殊なルールにも基づいて、複数のキーを同時に押すことで、1回で済む。 往来のワープロだと毎分100文字程度が限界だったのに対し、このキーボートなら350字程度と、アナウンサーが原稿を読むのとほぼ速さで入力できるという。 同社はステノキャプショナー養成学校も運営しているが、「一人前になるのに2〜3年かかるので、人手が足りない」と柴田邦博社長。
バイリアフリー
 字幕放送はアナログ放送では、対応型受信機が必要だったが、デジタル放送の映るテレビならボタン一つで表示できる。1985年に一部の局がドラマなど録画番組でスタート。2000年には生番組でも始まった。ただ総務省の04年度調査によると、総放送時間のうち、字幕付き番組はNHK総合で36%、民放キー5局で22%にとどまる。 障害者団体でつくる障害者放送協議会事務局の原田潔さんは「字幕放送は、ろうあ者や難聴者だけなく、お年寄りや知的障害者にも理解しやすい」と指摘。「より見やすい字幕の出し方など、当事者の意見を聴きながら、『情報のバイリアフリー』化を進めてほしい」と訴えている。
【新聞 テレビ:2006年(平成18年)2月】

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高知新聞 声のひろば 『授業で学ぶ手話体得して活用を』

 「これから5時間目の国語の勉強を始めます」と、全員で言いながら手話をします。
 僕たちの学校では、手話から始まる授業が当たり前のようになっています。 僕が入学した時は、なぜ手話で始めるのか全く分かりませんでした。最初のうちは覚えるために何となくやっていました。 でも、先輩に手話を始めた理由を教えてもらってから、手話に対する気持ちが少しずつ変わってきました。 先輩たちは、同級生に障害がある人がいたので、少しでも手話で対話しようと全校で始めたのでした 。 先輩たちは一生懸命覚えて、朝礼などで下級生に教え、次々と引き継がれてきました。僕も上級生になるつれて、どんどん手話についてしりたくなり、手話の大切さが自分なりに分かってきました。 高知県内にはろうあの人がたくさんおられるそうですが、僕はまだ、ろうあの人に会ったことがありません。でも、将来いつか出会った時、手話でコミュニケーションが取れるといいなぁと思います。 手話で始まり、手話で終わる授業。それを形式的な学習だけに終わらせず、本当に身に付け、役立てていきたいです。
【今西大智=15歳・中学生、幡多郡佐賀町 2005年6月】

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高知新聞 『手話で子育て』体験集

渡辺さん一家 「ようこそ、ろうの赤ちゃん」の本 生まれつき耳が聞こえない子どもを育てる保護者で組織する「全国ろう児をもつ親の会」(岡本みどり代表 )がこのほど、「日本手話」で子育てをする家族の体験談をまとめた「ようこそ、ろうの赤ちゃん」(三省堂)を出版した。高知市鴨部の渡辺雅之さん(40)一家をはじめ全国33家族(7家族は写真のみ)が、手 話で心を通わせる日常を紹介している。
 同書に登場する家族が日常、使うのは日本手話。岡本代表は「生まれつき耳が聞こえないろう者の中で自然に生まれた言語で、日本語とも違う独自の文法構造を持つ」と説明する。
 日本手話は手や指の動きが単語を表し、まゆやあごの上げ下げなど表情の変化が助詞や感嘆詞などの役割をして、微妙な意思を伝える。一方、講演会やニュースの手話通訳で主に使われる「日本語対応手話」は日本語の話し言葉をそのまま置き換え、文法構造は日本語と同じという。
 どちらの手話も、聴覚に障害がある人にとっては自然なコミュニケーション手段であるにもかかわらず、かつては日本語修得を阻害するとして、訓練施設やろう学校などから禁止されることが多かった。
同会は手話をコミュニケーション手段に伸び伸びと育つ子どもたちの姿を通し、聴覚障害児の子育ての実情を広く知ってもらおうと、会員らに呼び掛け体験談を募った。 渡辺さん一家は、妻の美香さん(39)、長男の拓耶君(14)と、高知ろう学校小学部3年の優香さんは「ジェット機の振動を体感で感じる程度」の重度難聴で、家族で“話す”ときは手話を使う。
 渡辺さん夫妻は、優香さんが2歳のころ訓練施設のアドバイスに従い手話を使わない子育てをしたが、「しゃべることを常に強要される環境に疲れ、誰とも目を合わせなくなった」優香さんを見て、家族で手話を学び始めた体験を紹介。
 「聞こえないのはいけないことだと私たちが思わせていた」と振り返りながら、「聞こえなくてもできること、聞こえないからできないけれどこうすれば、こうすればできる!をたくさんみつけていきたい」とつづっている。
【写真】「今度の休みは犬と遊びたいな」手話で会話を弾ませる渡辺さん一家 2005年6月

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朝日新聞 幡多農高校で豚包(トンパオ)作り

 交流:幡多農業高生徒、聴覚障害者と楽しく豚まん作り 高知手話を交わしながら、楽しそうに調理する豚まん実習交流の参加者たち=中村市の県立幡多農業高校で高知県中村市古津賀、県立幡多農業高校で24日(月)、県聴覚障害者協会幡多支部(曽根恵子支部長)のメンバーを招き、畜産クラブの生徒と調理を楽しむ「豚まん実習交流」が開かれた。 同校2年生が昨年、幡多支部に授業で手話を習ったことがきっかけの行事。中村、宿毛、土佐清水3市などから会員8人と、ボランティア手話通訳2人が参加。畜産クラブ部長の島津麻美さん(17)ら農産科学科3年生4人が指導した。 同校試食室で行われた実習では、ネギを刻んでいため、刻んだタケノコ、干しシイタケ、ショウガ、すり下ろしたナガイモ、豚ミンチと混ぜて、あん作り。小麦粉などを練って発酵させた皮に包んで蒸した。 参加者の1人で、宿毛市小筑紫の主婦、池とし代さんは「料理が好きなので、楽しみにしていました。包み方が難しいが、みんなで集まって作るのは、とても楽しい。家でも作ってみたい」と話していた。 指導した島津さんは「身振りを交えて作り方を説明しました。皆さんが喜んでくれて楽しい。習った手話も役立ちました」とうれしそうだった。
【古谷秀綱】 2004年5月
トンパオ作り

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高知新聞 手話奉仕員養成スタート(土佐清水市)

支社局からの報告

土佐清水市で講座開始土佐清水市 手話奉仕員養成講座スタート
 聴覚障害者への理解を深めようと、土佐清水市は本年度から手話奉仕員養成講座スタート。市民約70人が、日常会話に必要な手話の習得に励んでいる。「市民の盛り上がりを大切にし、障害者の自立や社会参加を進めるきっかけにしたい」と、市担当者らの思いは熱い。 手話奉仕員の資格は、厚生省労働省の統一カリキュラムによる講座(入門、基礎課程の計80時間)を修了すれば取得できる。さらに手話について学習し県の認定を受ければ、講演会などで、手話通訳したり、養成講座で指導できる手話通訳者となれる。(県内で現在、85人)。 同市では聴覚障害があるとして、約150人が市に登録されている。高齢で耳が遠くなったケースなどが多い。しかし市内には手話通訳者はもちろん、これまで養成講座を開いていなかったこともあり、手話奉仕員はいなかった。

障害者支えたい
 そこで、同市はまず、14年度に初心者講座を実施。約40人が学んだが、講座終了後、参加者の多くが「手話の学習を続けたい」と希望。参加者が中心となり14年10月、手話サークル「みらい」(山脇純子代表、約40人)が結成された。 養成講座の開講も同サークルの要望。市が市社会福祉協議会に委託し、同サークルの協力を得て運営する。2年間の予定で、本年度は、国、県の補助を受け30万円の事業費で、6月から11月まで月3回、同市寿町の市社会福祉センターで全18回の入門課程を実施。 高岡郡窪川町の手話通訳者らを招き、実践的な会話を学んでいる。 講座の参加者は20〜30代の市職員や主婦、教員らが中心。「家族に聴覚障害があり、ぜひ覚えてみたかった」「手話に興味はあったが、どこで習えばいいか分からなかった。」と参加者ら。山脇代表も「障害のある子どもを持つ家族は、一丸となって子どもを支えている。市民が障害者に思いやりを持てるような町作りに、私たちの活動が手助けになれば」と話す。 一方、市健康福祉課も「手話奉仕員になってもらって、聴覚障害者らが市役所や病院の窓口で手続きをする際などに、ボランティアで補助してもらえたら」と期待。「来年の講座の受講状況にもよるが、将来は市社協を窓口にした手話奉仕員の登録制度なども検討したい」(戌井大城・同課課長)という。

声かけ運動
 また、手話だけで市民の福祉への盛り上がりを終らせたくないと、市は今年7月から「声かけ運動」を始めた。町で障害者らを見掛けた際、何が困ったことがないかなどを市民が積極的に声を掛けるというもの。障害者の自立、社会参加を支援する地域づくりを進めようという狙いだ。チラシ配布や市の広報で、市民に協力を呼び掛けている。 「単発の運動で終らせたくない。重要なのは市民から声が上がること。今後も地道な活動を続けていきたい」と戌井課長は強調する。 市の財政事情がますます厳しくなる中、市民がいかに安心して、健康に暮らせるまちづくりを進めていくか。市の継続的な啓発活動はもちろん、市民の自発的な取り組みが必要だ。
【写真】(清水支局・山崎道生)【2004年6月】

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高知新聞 主将は元卓球世界一位

竹島さん  バレーボール競技の聴覚・女子県チームの主将を務めた竹島春美さん(42)=高知市神田=は、卓球の世界大会で優勝経験を持つ元世界チャンピオン。
 掛け替えのない仲間たちとともに、一つのボールを追い続けている。 竹島さんは中学1年から卓球を始め、21歳のときに「世界ろう者体育競技大会」の卓球女子シングルの部で優勝。
 29歳までに3連覇を果たした。 その後、「卓球は30歳までと決めていた。やれることは全部やった。もう未練はない」と卓球の世界から引退。県聴覚障害者協会のメンバーとして手話ボランティアなどの啓発活動に取り組んできた。
 バレーボールとの出合いは5年前。今のチームメイトの藤田由紀子さん(46)から「大会に出るにはメンバーが足りないから」誘われた。「最初は強いボールが来ると逃げていたですよ」と話す竹島さんも今はすっかりバレーボールのとりこ。
 「卓球は個人競技で自分自身との戦い。でもバレーは団体競技。お互いに励まし合い、試合に勝てば一緒に分かち合える。卓球よりも楽しい」10日の初戦、県勢は宮城に惜敗。竹島さんは「もっと実力を付けたい。これからもバレーを続けていきたい」と悔し涙をぬぐったが、その表情には、仲間と一緒に新しい夢を見つけようとしている明るさが見えた。竹島さん 仲間と一緒に喜びを。
【写真】「これからもバレーボールを続けていきたい」と話す竹島さん(南国市スポーツセンター)2003年11月

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高知新聞 手話通訳でもっと貢献を

政平さん  高知警察署の1階ロビーには、週に2、3人は耳が不自由な人が訪れる。そこで、いつも応対するのは交通巡回員、政平美登理さん(50)。手話の腕前はテレビ番組で通訳を務めるほどで、同署では、ろう者の相談窓口になっている。 「交通事故や近所付き合いのトラブルなど相談さまざま。言葉が話せないと警察に来るのが怖いようですが。私が行くだけでほっとして笑ってくれるんです。」 手話を始めたのは15年前。駐車違反の取り締まりなどの業務の傍ら、ろう者の相談の乗り、数年前からはろう者がかかわる事件捜査や苦情処置も手伝っている。 交通事故では、現場まで付き添い、事故の相手方や警察官の話を通訳する。「『ここで止まったがやろ』『見えんかったら行かれん』と現場で説明することが重要なんです。」誠実な対応にろう者からの信頼は厚く、何度も相談に来る人も多いという。 「頼りにされることやりがいに感じてます」と明るく話すが、ろう者からの相談の半数以上は、管轄外だったり仕事があったりで対応できない。「ろう者の心細さを考えるとやるせない思い」と表情を曇らせる。 県警は手話の訓練を教養に取り入れているが、深いコミュニケーションができる人材は少ない。「ろう者の事情聴取は筆談で行われるケースが多い。外国人には必ず通訳が付くのに、なぜろう者には付かないんでしょうか」。県警全体の手話能力の強化を訴える。 さらに手話を生かそうと、法廷や医療現場の通訳に必要な手話通訳の勉強を始めた。周りから「体が心配になる」と言葉を掛けられても、「心が充実しちゅうき」と笑顔で切り返す。「もっと貢献したい」。政平さんの夢は尽きない。(社会部・奥村盛人)
【写真】手話を交えて話す政平さん(高知署)2002年2月

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高知新聞 妹尾 映美子さん(手話コーディネーター)講演会 

妹尾さん 高知新聞ニュース
■ろう文化の豊かさ語る  妹尾映美子さん講演 中村市2001年11月12日(月)の朝刊ヘッドライン
  NHK「みんなの手話」の出演者で、日本ろう者劇団の女優、妹尾映美子さんの講演会が11日(日)、中村市大橋通六丁目のヨンデンプラザで開かれた。県聴覚障害者協会幡多支部(田辺郷代支部長)の主催。  妹尾さんはラジオのディスクジョッキーを経て、黒柳徹子さんの芸能事務所に入り、聴覚障害のある人々が演じる「ろう演劇」と出合った。妹尾さん自身は耳が聞こえ、手話を全く知らなかったが、ろう演劇で鍛えられるうち、手話の奥深さを知った。  約百人が集まった講演は手話と日本語の同時進行。妹尾さんは明るい声と、全身をフル回転させる手話で魅了し、「ろう文化」の豊かさについて話した。  手話は国内外で異なるのはもちろん、方言が無数にあるという。また、手話は声の“表情”がない分、顔の表情が重要なため、妹尾さんは「『あえて見ない』が奥ゆかしいとされる日本的価値観と違い、ろう文化は『見る』『見られる』が得意な文化になった」と分析した。
 【写真】手話と日本語で講演する妹尾さん(中村市のヨンデンプラザ)

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高知新聞 IT講習会 

高知新聞介護・福祉ニュース
■手話通訳付きIT講習 聴覚障害者向け県内初 中村市2001年11月12日(月)の介護・福祉ニュース
講習中  中村市教委は今月から、聴覚障害者を対象に手話通訳付きのIT講習会を同市右山五月町の中央公民館で始めた。聴覚障害に対応したIT講習会は県内初で、幡多地域から約20人が参加し、「インターネットを覚えて世界を広げたい」と張り切っている。  「障害に対応したIT講習会への要望は強い」(市教委生涯学習課)が、今回の講習会は手話サークルの協力を得て実現。参加は市町村の枠を取り払い、幡多全域で呼び掛けた。
 講習会は短期集中の全6回で、聴覚障害者と手話通訳のボランティアが二人一組で学ぶ形式。講師にも専属の手話通訳者が付き、説明はOHPなどを使って視覚に訴えるよう工夫している。  土佐清水市や佐賀町からも受講生が集まり、ニーズの高さをうかがわせた。県聴覚障害者協会幡多支部の田辺郷代支部長は「これまで手話通訳がネックでパソコンを学ぶ機会が少なく、インターネットの存在も遠かった」と振り返る。  授業内容は「メールで交流を広げ、友人をたくさんつくりたい」との要望から、インターネットと電子メールの使い方に重点を置いている。受講生は手話で盛んに質問しながらキーボードを打ち、教室は学ぶ熱気に満ちていた。
 【写真】中村市教委が始めた手話通訳付きIT講習会(同市の中央公民館)

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高知新聞 生きた手話を学んで

藤田さんと竹島さん  土佐郡鏡村今井の==学校(山本絋道校長、57人)が行っている手話の授業を、村外からのボランティア講師が教え始めた。聴覚障害のある藤田由紀子さん(44)=土佐市=と竹島春美さん(40)=高知市。障害のある人が講師として招かれる授業は単発のものが多い中、鏡中では、10月まで週1回、計15時間実施。生徒たちと交流を深め、手話の大切さを伝える。
鏡中 村外から聴覚障害講師  ボランティアの女性2人
10月まで週1回 校歌訳し合唱
==では、十数年前から、「創意の時間」を体験学習に活用。5月から10月まで15,6時間、男子は地域に伝わる県無形民俗文化財の「大利の太刀踊り」を学んでいる。 女子も鳴子踊りなどを学んできたが、昨年度から岡崎富男地域教育指導主事(47)が手話のスタート。本年度はさらに岡崎主事が「通訳の私の手話だけなく、当事者が使う生きた手話を学んでもらおう」と知人の藤田さん、竹島さんに協力を呼び掛けた。 このほど行われた最初の授業では、女子生徒20人が2人に手話で紹介した。あまり勉強していない一年生たちは不安げな表情。右手で山の頂上を表し、両手の先を体の前で合わせてとがっ先端を示す。「山崎です」。そんな真剣な手話が2人にうなずかれると、生徒たちは「通じた」と大喜び。 また初めて聴覚障害者と触れ合った生徒たちは「社会的に明るい」「話し上手で聞き入ってしまいました」とも。 そんな姿や感想に「今の中学生は冷めているのではと不安でしたが、そんなことはない。いい目をしている。熱意を感じた」という2人は、「手話だけなく、身振りや筆談など、いろんなコミュニケーションの方法があることを知ってほしい」訴えた。 今後は手話に訳した校歌を2人にチェックしてもらったり、合唱なども学ぶ予定。山本校長は「2人との交流はまさに心の教育。いろんな人への思いやりを学んでほしい。またせっかく学ぶのだから発表の場も設けたい」と、学習の成果に期待している。
【写真】藤田さん=中=と竹島さん=右=に手話で自己紹介する生徒。
2人との触れ合いを通じて、手話の大切さを学ぶ(鏡村の鏡中)2001年5月

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高知新聞 障害者と卓球楽しむ

 身体障害者との交流を通じて、相手の立場に立って考える子供になってもらおうと、宿毛市教委は12日、宿毛小学校で「障害者とのふれあい教室あすなろ」を開催。市内の小・中学生11人が聴覚障害者と卓球を楽しんだ。「あすなろ」は一昨年から始まり、手話教室や特別養護老人ホームでの体験ボランティアなどを実施している。今年は6月から来年2月まで8回、実際に車いすに乗ったり、福祉施設の訪問を計画している。
 この日は耳の不自由な同市内の主婦、曽根恵子さん(33)を招いて、卓球で汗を流した。曽根さんは全国ろうあ体育大会の卓球シングルでも優勝したことのある実力者。子供たちは曽根さんから手を取って指導してもらった後、試合をしたが、1点を取るのにも一苦労。「やっぱりすごいねえ」「ハンディを7点ぐらいもらわないと勝てん」と驚いた様子だった。 続いて手話でお互いに自己紹介。初めて手話を学んだ子供もいたが、最後には全員で手話を使って、曽根さんに「ありがとうございました」と礼を言った。
【写真】曽根恵子さん(左から2人目)の指導で子供たちが卓球を楽しんだ「障害者とのふれあい教室あすなろ」(宿毛)1999年9月
曽根さん

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高知新聞 長春ろうあ学校教師 大森さんが帰郷公演

公演中の大森さん 中国手話も日本は奪った
 聴覚障害者で、中国吉林省の長春ろうあ学校で教壇に立つ大森たかみ(中国名・高見)さん(38)=幡多郡西土佐村出身=の講演会が9日夜、中村市社会福祉センターで開かれ、聴覚障害者や手話サークルのメンバーら市民約70人が耳を傾けた。
 大森さんははしかの高熱で耳が不自由に。県立高知ろう学校を卒業後、西土佐村役場や高知市の印刷会社などで15年間タイピストとして働いた。父親が旧満州の開拓団にいたこと、中国残留孤児が自宅近くに帰国したことから、中国の歴史や日中関係に興味を持ち平成元年に留学。長春大や北京師範大で中国語や中国手話など学び、2年前から長春ろうあ学校で教壇に立っている。
 大森さんは「長春の手話の3分の1は日本式で、ほかの街にはない特殊なもの。日本語を押し付けた歴史を目の当たりにしてショックを受けた。」旧満州国の首都だった長春市に、かつて日本の支配がいまだ生々しく残っていることを話した。
 また、ろうあ学校に卓球部を初めてつくり、2年後にデンマークで開かれる世界大会出場を中国首脳に働きかけていることも報告。「卓球を通じて子供たちに自信がついた。世界の舞台に立つことは夢をかなえると同時に、障害者の地位向上への一助にもなる」と熱意を見せた。
 会場からは質問が続出、大森さんの頑張りに勇気づけられたという聴覚障害者も多かった。
【新聞 1995年(平成7年)2月】


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