ろうあ幡多

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ろうあ幡多 2007年 9月30日発行 第18号


 

平成19年度 『手話通訳者養成講座』受講選考試験 土佐清水市にて実施される

 さる9月2日(日)、土佐清水市福祉センターにおいて、平成19年度『手話通訳者養成講座』受講選考試験が実施されました。
 試験当日1名キャンセルが出て15名で試験に臨みました。
 当日は、講師団の藤田さんがスケジュールを進めてくれました。
 集中して答案用紙に向かい、問題を解き、ビデオの手話を読み取ったりと全力で生徒全員、頑張りました。
 試験要員の円滑な動きで、すべての生徒が正午まで試験を終えることができ、ヤッターと晴れやかな気持ちでした。
 今回の通訳者養成講座『基本課程』は、高知市からろう講師3名、健聴講師4名と、地元西部地区からろう講師1名の総勢8名の講師で指導に当たります。
 土佐清水市の皆さん、お互い頑張りましょう。


 

長寿を祝う会

 さる9月24日(祭日)
 四万十市福祉センターにおいて、『長寿を祝う会』を実施しました。
 ろう高齢者7名、故坂氏の奥さん(代理出席)1名の「健康と長寿」を、みんなでお祝いしました。
 


 

手話研修会 山口健二さんからのアドバイス

竹尾先生は西部地区の手話通訳者育成のため、手話指導に福岡から来てくれています。8月で3回目になります。
今回は、福岡のろう者・山口さんを誘って一緒に来てくれました。
山口さんの視点から参考になるアドバイスを色々いただきました。
手話指導中の竹尾先生 福岡のろう者 山口さん
「この手話、間違っているよ」「表現が足りない。だから、見るのも疲れてしまう」
地元のろうあ者が、学習中の聴者に対して、忌憚(きたん)のない意見をぼんぼんと出している。
それをきちんと受け止めて、さらに手話表現の練習に励む学習中の聴者。
その光景をみた私は、すがすがしい気持ちになっていた。
この学習光景を見たのは何年ぶりだろうか?
お互いに意見を言い合って、目標に向かっていく。車の両輪のおなじく、バランスが取れている。
 
わずかな時間だったが、ここで皆さんと過ごしたコトは一生忘れないだろう。
ありがとう。宿毛の皆さん。また、いつかリフレッシュで宿毛に行きたいですよ! ! ! ! !
本当にここ宿毛にきて良かったと思えるくらい衝撃的な一泊でした。
追伸・・・朝食はカルチャーショックでした。喫茶店で食べる習慣があるとはびっくりです。
特に、メニューを頂いたとき、分厚いメニューにもっと驚きましたよ。
山口健二さん



 

ビアガーデンに行きました わかあゆ手話サークル




 

西から東へこんにちは!




 

手話と笑顔で頑張っています

今回は、愛南町一本松病院に勤務している成宮さんを紹介します。
成宮さんは、一本松病院に勤務して22年になるそうです。
一本松病院 【手話のキッカケ】 高校生の頃、通学電車の中で見たこと。

【手話を習い始めた理由】 「話したいなぁー。」と思ったこと。

【印象に残った聴覚障害者との出会い】
①高齢者の方から若い方、色々な方々とお会いして手話表現が違うことに驚きました。
②各それぞれの地域で、手話を広めようと頑張っておられる姿に感動しました。

【手話が出来る職業人として、一個人としての地域奉仕】
困った事があれば、お手伝いできればと…思います。

【親しまれている呼び名】 なるみやさん

【職場の正式名】 愛南町国保一本松病院

【一本松での手話活動】
大阪に長らく住んでいたので、手話サークル活動や手話講習会のお手伝いや初級コースの講師をしたりしていました。愛南町に帰って、石河さんの誘いで、手話講習会のお手伝いをさせてもらいました。

【最後にひと言】
手話のできる看護師として安心して病院受診ができるようお手伝いできたらと思います。


 

私の趣味・あなたの趣味

『野菜作り』 Sさん




 

見た土佐 聞いた土佐

愛媛県宇和島市地域に勤務していた柴田さんを紹介します
たのもしい柴田さん 柴田 昌彦さんは神奈川県出身
・神戸学院大学薬学部卒業
・愛媛県宇和島市にて調剤薬局勤務
・米国ギャローデット大学留学
・現在、神奈川県の大学病院で研修中

大学に在学中は、手話通訳など配備されていなかったと思いますが、単位をとるまでの苦労話
 確かに手話通訳などの情報保障はありませんでした。要望を出したのですが、理解されなかった面、または私の力不足もありました。学習は友達のノートを借りて、それを写すという方法を取りました。このようにリアルタイムで情報を得ることがなかったために、不利な面も多くありました。
 特に周りがもうすでに試験勉強を開始しているのに、私はまだノートを写しているだけ…という状況が毎回の定期試験の前ではあたりまえでした。情報を得るのが常に一歩一歩遅れ、とても苦労しました。

愛媛県薬剤師会宇和島支部では医療現場におけるろう者の問題に取り組んだと聞いています。自分が一番心に残った問題
 まず、今まで働いた中で宇和島の薬局はろうの患者さんが多く来られ、やりがいがありました。実は、私が来るよりも前から、その環境は出来上がっていました。隣のクリニックに手話通訳者でもある看護師さんがいたことや、宇和島の会社の社長も手話ができるという素晴らしい環境があり、私が宇和島に来たことでその一員に加えて頂けたのです。そこから私の取り組みがスタートしたのですが、充分な医療を提供するにはなかなか難しかったです。
 私が生まれ育った東京の方とは違い、未就学のろう者が多く、読み書きだけではなく、手話も苦手な人もいたというのが一番心に残った問題でした。未熟な私の手話では最初はなかなかうまくコミュニケーションが取れなかった人もいましたが、手話の表現方法や、時計を使うなど色々工夫をし、会う回数を重ねる毎に少しずつ伝わってくるようになったときは、とても嬉しく感じました。

留学しようとしたキッカケ
 2002年にDEAF WAYⅡ という世界からろう者が集うイベントがアメリカのGallaudet大学にて行われました。それに参加した時に、どこへいっても手話ばかりだったんです。その時の情報保障も充実していました。とにかく、圧倒されましたね。そして、アメリカには聴覚障害を持つ医療従事者が300人いるという情報も得て、留学してみたいと思うようになりました。その時は衝動的な気持ちでしたが、社会人になって、薬剤師になって改めてアメリカのろうの医療従事者がどのようにして勤務しているのか、どのようにして今のポストを得られたのかなどを知りたくて本当に留学をする決心をしました。

留学先では何を学びましたか?手話通訳は配置されていましたか?されていなかったら、どんな風に工夫して学んでいきましたか?
 Gallaudet大学のInternational Internship Programに参加しました。特別聴講生みたいな形で、Gallaudet大学の授業に参加しながら、ろうの医療従事者に関する情報を収集し、連絡を取ってインタビューしました。実際の勤務現場の訪問が実現したところもありました。
 Galladuet大学では、コミュニケーション学、カウンセリング学、Deaf Studyなどを学びました。そこの公用語はASL(アメリカ手話)なので、基本的に手話通訳はいりません。ろうの先生、もしくは手話ができる先生が多かったです。先生だけではなく、警察や事務員、料理人などの職員さんも手話が出来ました。中には、手話が十分に出来ない先生もいましたが、その場合は必ず手話通訳者が配置され、情報保障はほぼ完ぺきだったと言えます。

宇和島市に滞在して、宇和島のいいところや、人情的な思い出話
 やはり、生まれ育ちが首都圏だったので、何よりも自然があふれていたということが今でも忘れられません。緑もきれいで、海も青いし、空気も澄んでいて、食べ物もおいしい。いいところばかりでした。地元の人はそれを当り前のように受け取っているところがあり、もったいないなとも思いました。このような本来は「当たり前」の環境だけど、関東や関西では壊れてしまっているんだよ、ここは、素晴らしいところなんだよ。ということを回りに話し続けました。高知の方も四万十川や足摺岬、入野、竜串などにも何度も足を運びました。

将来に対するビジョン
   医療面、福祉面でろう者が安心して住める町を作ることが夢です。一つ二つの医療機関の中に、ろうもしくは手話ができる医療従事者がいるといったことに終わらず、町全体がそうなっていけたらいいなと思っています。そういった道のりはまだまだ遠いですが、少しずつ創っていけたらいいなと思っています。
 まずは、自分がろうで手話が出来る薬剤師だから…というのではなく、一人前の薬剤師として患者さんからも医療従事者からも信頼されるようになりたいと思っています。

その他、何でもいいですので記入して下さい。
 妻と1歳7か月の息子がいます。私の両親も妻もろうです。そのせいもあって、息子は健聴なのですが、私から見ても信じられないぐらいに手話の読み取りが出来、表現も表情も豊かです。おそらく今の息子の頭の中では、世界のどこへ行っても手話が通じるものだと思っていることでしょう。たとえば、買い物へ行った時に、息子が知らない人に手話で「これは花だよ」と話しかけたりします。相手は手話が分からないので笑ってごまかしたり…(笑)息子の頭の中で思い描いている「世界中どこへいっても手話」というのは極端ですが、どこへいっても心と心のコミュニケーションが出来る世の中になっていったらといいなと思っています。



 

中央地区 手話サークル紹介

かかしの会 手話サークル⑦
 香美市土佐山田町の手話サークル『かかしの会』を紹介します。

【サークル名前の由来】
土佐山田町では、毎年刃物祭りが開催され、その催物のひとつとして「かかし祭り」があります。一般からかかしを募集して鏡野公園に展示して来場者を楽しませている。そのかかし祭りから「かかしの会」と命名した。

【結成のきっかけ】
確か平成3年頃だったと思うが、社協主催で、講師に前田さんを招いて手話講座があり、講座終了後、その受講生たちが集まってサークルを結成したのがきっかけ。

【嬉しかったこと】
結成後しばらくして手話ブームとなり、会員が40名余りになったこと。
ろう協の老人部の人たちが、度々高知から土佐山田まで来られて交流して頂いたこと。
社協がいろいろな面でサポートしてくれること。

【将来の要望】
現在、ろう者の会員は1名、もっと多くのろう者に参加してもらいたい。
会員の中から将来手話通訳を目指す人たちがでてくれること。

【会長】中村。
【現在会員数】15名
【活動年数】16年
土佐山田町では、毎年刃物祭りが開催されている催物のひとつとして「かかし祭り」



 

幡多ろうあ協会のあゆみ No. 3

No. 2で、マクレン宣教師や力丸牧師のことを書いたが、もう一度、昭和45年以前の事を書いておく。




 

私(うち)んくの天使たち

 飼い主は、高知市にお住まいのYさんです。みなさん可愛がってネ!

【天使たちのチャームポイント】
うさぎ、猫、犬、インコ、メダカ 順に紹介しますね。

  福(うさぎ)11才。ミニウサギ。
 福ちゃんはとても元気なおばあちゃん。
長生きの秘訣は大好物のフルーツです。
若い時は美人?でした。

 M(猫)8才。日本猫。
 M君 体重 6キロほどのやや太りぎみです。
甘えん坊で哲君や学君とも大の仲良しですが、時々くりだすネコパンチは強烈。

MIXの哲くん  哲(犬)5才。MIX。
 哲君 白いきれいな毛とつぶらな瞳がチャームポイント。とてもやさしくおりこうさん。ボール遊び大好きでサッカー、キャッチボールが得意。

 学(犬)3才。ダックスフント。
 学君 お姉ちゃんはT家のさくらちゃん、妹はあやめちゃんです。
性格は明るくやんちゃな甘えん坊。イタズラしたって『へっちゃらさ』の日々。
自由犬なのがまたかわいい……(親バカですね)

インコの太郎  太郎(インコ)12才。ルリコシボタンインコ。
 太郎君は何年か前に妻のミミちゃんに先立たれてからは淋しい一羽暮し。

インコのピヨ  ピヨ(インコ)11才。オカメインコ。
 ピヨ君は恥ずかしがり屋なのでかまいすぎると、ピヨにおこられてしまいます。
ピヨ君も妻のキュイーちゃんに先立たれ一羽。男同士頑張っています。

 まだまだいます。メダカを4年前から数えれないけど50匹?位飼っています(^_^;) 3つの水槽で赤いメダカグループ、黒いメダカグループ、混合グループ。混合グループには赤ちゃんが生まれて赤、黒、白 カラフルです。

私んくの天使たち、いつまでも仲良く長生きしてね。



 

幡多支部行事

応急処置講習会は未定ですが、決まり次第、FAXでご案内します。
ミニ運動会&日帰り旅行…どちらか?を計画中です。
12月8日(土曜日)は合同忘年会(西土佐)(^O^)/
たくさんの参加をお待ちしています。


 

繋がりWarm Heart〜温かい心〜

大方で小学生との思いやりの交流会
CSP委員会事業 繋がりWarm Heart〜温かい心〜
中村青年会議所主催
9月1日(土)〜9月2日(日)
子供たちはろうあ者の方との交流やOMOIYARIセミナーを通じて、相手を思いやる気持ちを学びました。
一日目は、キャンプファイヤーの予定でしたが、雨の為、代わりに思いやりの気持ちで、親への感謝の気持ちを手紙に書きました。
二日目は思いやりの交流で一日目、二日目にしたことの感想をグループに分かれて話し合い、代表が発表しました。
二日目



 

つぶや記 ぼや記

私たちの『 同胞(どうほう)≪はらから≫ 』今月「長寿を祝う会」が四万十市で実施された。
祝いの中ほどで、竹中氏が自らスライドを使い、幡多支部の歩みを紹介してくれた。
昭和40年〔幡多ろうあ協会] が創設される前、創設となった後も、青年であった竹中氏は幡多のろう者と共に手話蔑視の時代を嘆き斗ってくれた。氏は、ろう者の『 同胞≪はらから≫』でなくて何であろう。
竹中氏の実家は、廃校となった幡多ろう学校に隣接していた。手まねを使うろう者たちを子供のときから見てきた訳だ。
何も分からない幼少時代「変なやつらが来た!」と石を投げたこともあったと言う。ろう児も負けずに投げ返してきたらしい。(アハハハ)
それに竹中氏は、周りから野武士のようなクリスチャンと呼ばれていて、一見して強面(こわもて)であるが、ハートは誰よりもあったかいと信じている。
氏は、天にあるものを目標にして生きているためか、清らかで純白な心を持っているとも思う。
同じ目線で真直ぐにぶつかってくる竹中氏のような人と幡多のろう者が出会えたことは、まさに天の配慮ではなかったかと今になって考える。この天の配慮に私たちは感謝している。

○幡多支部広報部
支部長:畦地(FAX 0880-43-0164)
編集:大森
映像:荒木
会計:曽根
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